2010年4月29日木曜日

4月定例学習会報告

■国分寺・名水と歴史的景観を守る会4月定例学習会
 日時:2010年4月9日(金)18:00~20:00 
 会場:国分寺市本町・南町地域センター集会室・学習室
 講師:松本浩男さん(出版社顧問、当会幹事)
 演題:「土師器と須恵器」― 現物に触れながらその成立と違いを考える ―
 配布資料:B4判5枚  
 資料代:100円
 参加者:13名

・配布資料のまとめより ―土師器と須恵器の違い―
①土師器はの日本古来の土器づくりの流れを継ぐが、須恵器は大陸から伝わってきた製法である。
②土師器は野焼きであるが、須恵器は窯で焼かれる。
③土師器は酸化焔焼成、須恵器は還元焔焼成である。
④土師器は700~800度ぐらいの低温で、須恵器は1000~1200度ぐらいの高温で
 焼かれるため土師器は柔らかく、須恵器は硬く焼き締められている。
⑤土師器は肌色が赤っぽいが、須恵器は灰色、青みがある。
⑥土師器は土が手で捏ねられるが、須恵器は轆轤が使われる。
⑦土師器は主として煮炊き、煮沸用に使われ、須恵器は貯蔵用に使われる。

・土師器の名称は、奈良時代に編纂された『日本書紀』に土師連(ハジムラ)、
 土師部(ハジべ)、平安時代の法典『延喜式』に土師器(ハジノウツワモノ)が由来。

・土師器の時代区分として、土師器は弥生式土器の系統を引き継ぎ、古墳時代の
 初期から登場する。
 
・南関東の五段階編年とは
 古墳時代:
 第一段階【五領式土器】(3世紀~4世紀)埼玉県東松山の五領遺蹟から出土した
  土器類が標式(基準のこと)とされる。
 第二段階【和泉式土器】(5世紀代)狛江市にある和泉遺跡から出土したものが標識とされる。
 第三段階【鬼高式土器】(6世紀代~7世紀中頃)
  千葉県市川市にある鬼高遺蹟から出土したものが標識とされる。
 古墳時代末期・奈良・平安時代:
 第四段階【真間式土器】(7世紀後半~約8世紀半)千葉県市川市真間遺蹟から
  出土した土器が標識とされる。
 第五段階「国分式土器】(9世紀前後~11世紀まで)市川市真間遺蹟の一部と
  下野国分寺跡地域から出土したものが標識とされた。
 三段階に亘り、千葉県市川市から出土していることは注目すべきことである。

・須恵器の名称は、10世紀初めの『延喜式』に出てくる「陶器」の単語に「須恵毛能」
(スエモノ)(スエノウツワモノ)と充てたことに由来する。

・須恵器の歴史:
 須恵器の始まりは5世紀中頃、朝鮮半島南部にあった伽耶系の土器が伝わったと言われる。
モノが移動したのではなく、須恵器を作る工人集団が渡来してきたと言える。

考古学会では、先ず土器について学べと言われるそうです。
松本さんが集められた土師器と須恵器の貴重なコレクションを参加者全員が手に取り、それぞれの時代に思いを馳せることができ感動しました。埴輪も土師器とのことです。酸素が少ない還元焔による燻べ焼きを行うため、灰黒色をしている須恵器をたくさんお持ちくださいました。酒器と思われるもの、水筒のようなもの、祭祀用の器と思われるもの、蓋物、蓋のないもの、墨書きの皿等々見飽きることがありません。素晴らしい器は、時代を越えて盛ることができるとつくづく思いました。あな窯での還元焔焼成で内側に生じた白きららに一筋の緑青色の自然釉が何とも言えない景色となっている須恵器のあの大ぶり茶碗で一服の抹茶を頂いたら、最高の気分だろうとふと思いました。

■講師・松本浩男氏からレジュメ訂正と補足
9日出席頂いた皆様、わざわざ拙い私の話を聞いてくださって有難う存じました。
レジメに誤りがありました。
土師器の5段階形式のなかで国分式土器が「下野国分寺跡の」とありましたが下総国分寺の誤りでした。私の転換ミスです。

それと話題になった底の丸い下記の須恵器、提瓶とよばれるものらしいですね。
二つ耳がこれはついていて縄ヒモでつるしたようですが、わたしのは耳の跡がありません。そいう堤瓶もあるのですかね。(耳がとれたところを隠してしまった可能性もありますが)やはり水筒みたいに水をいれたものらしいです。↓

私が横瓶(よこべ)といっていたこれは、府中の小林さんのご指摘のとおり平瓶(へいへい)の方いいようです。↓

また (ハソウ)とはこのようなものです。この穴から竹の管をいれて酒を注入したり飲んりしたという説や、畑中さんのいわれたように楽器としてつかわれたという説も一部にあるみたいですね。↓

米屋さんからお尋ねのあった土師器も朝鮮半島から伝わったのでは?という点については勉強不足でしたのでこれから調べていきたいと思います。当日、触れなかったのですが三田史学会の「史学」昭和49年の号に金延鶴という韓国の学者が朝鮮半島で使われた赤褐色軟質土器というのが日本に伝わって土師器になったのではないかという説を書いていますが。ただしこちらは轆轤を使っています。
最近逆に半島南部から純粋な日本の土師器がかなり出土していて注目されています。

以上訂正のお詫びと補足です。