2009年12月19日土曜日

2009年1月定例学習会は上映会「映像で捉える多摩・国分寺の魅力」

多摩・国分寺の四季折々の豊かな自然、歴史と隣り合わせの街の風景や行事、それらの保全・再生に取り組む人々の活動など、3人の作者がそれぞれの視点から捉えた映像作品5点を上映します。

日時:2010年1月8日(金) 18:30~20:30
場所:国分寺市本町・南町地域センター 集会室 

●石原恙逸(よういつ)氏は、光公民館で活動するグループ「光ビデオ」からのご参加です。09年9月に行われた「お鷹の道映像コンテスト」で優秀賞を受賞した作品を上映します。
●上映後は、質問・感想を交え、多摩・国分寺の魅力を発信する取り組みや映像メディアの可能性、自然や歴史を活かしたまちづくりについてなど、自由に意見交換いたしましょう。

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■小田切やすひこ作品  名水の会会員/光ビデオ所属
1.国分寺の湧水 水量・水質検査の想い出 (9分17秒)
私は、真姿の池の湧水でお茶を楽しんでいます。この作品は、私の水汲み散歩の途中で出会った、湧水の検査を定期的につづけている2つのグループを取材しました。

2.さくらの嫁入り (7分10秒)
多摩さくら百年物語フォーラムのメイン活動はさくらの植樹です。私たちが、奥多摩の山で採種して、育てたヤマザクラが成長しました。その、ヤマザクラを山に戻したり、お嫁に出したりしています。関係者から大変喜ばれています。

■畑中久美子作品   名水の会会員
3.蓮物語 (5分34秒)
現・国分寺境内(万葉植物園)の奥の小さな水辺に、毎夏、見事な大賀蓮が咲きます。2005年のひと夏、その写真撮影に通いつめました。蓮の蕾から開花、結実までの写真をスライドショーに編集し、虫や台風や万葉集のエピソードを組み合わせて、物語風に仕立てた小品です。

■石原よういつ作品   光ビデオ所属
4.史跡 武蔵国分寺 (7分40秒) 
2009年9月、お鷹の道に「おたカフェ」がオープンすることを記念して、「お鷹の道」映像コンテストが催されました。「お鷹の道」映像コンテストに応募したところ図らずも優秀賞を受賞いたしました作品です。
内容は国分寺跡、薬師堂、お鷹の道近辺の春から冬の景色や、行事を記録した作品です。

5.我が町国分寺  (9分20秒)
この作品は『史跡 武蔵国分寺』の元になった作品です。
国分寺市の簡単な生い立ちと国分寺市の年中行事のようなものを記録した作品です。

お問い合わせ:meisui.keikan@gmail.com

2009年12月18日金曜日

拡大幹事会報告(2009年12月11日)

報告事項:
1. 助成金応募結果の報告:TOTOみず基金に6/25応募したが、今回は通らなかった。野川の水量確保に向けた取り組みとして玉川上水から恋ヶ窪用水の再生を助成金応募趣旨としたが、募集趣旨と少し違っていたようだ。次回は、とうきゅう環境浄化財団への応募を考えたい。とうきゅう環境浄化財団からの助成金は全額ではなく、半額程度の助成である。野川流域連絡会と連携し名水の会会員にとって、負担がないようなシンポジウムや学習会を開き、恋ヶ窪用水再生の広報をしていこう。
2. (仮称)東京みどりと水のボランティア展」(平成22年2月2日~3月1日)への展示は、12/1辞退連絡済み。

検討事項
1. 来年度の活動として、名水の会では水と歴史を軸とし、会員皆さまからのご意見を集めて整理し、来年度の活動計画を立てることにする。活動計画に関しての皆さまからのご意見、ご提案をお待ちします。
2. 来年度の活動計画の一つとして、全国の国分寺巡りを始めることにする。1年に2回程度。気候の良い4月、5月、6月、9月、10月頃を考えてはどうか。マイクロバスの定員は25名なので、20名から25名集めたい。第一候補として、下総国分寺、第二候補として下野国分寺を考えたい。
3. ビデオ鑑賞会を計画。「10年前の湧水観測と10年後の記録」「桜」、「蓮物語」など。新年早々の1/8の定例学習会をビデオ鑑賞会にしてはどうか。
4. 外の団体との交流も考えたい。
5. 名水の会総会は、2010年3月14日(日)午後開催予定。

12月定例学習会報告

 日時:2009年12月11日(金)18:00~19:30
 会場:国分寺市立本町・南町地域センター 集会室
 講師:神谷博さん(建築家、水みち研究会、当会会長)
 演題:「古代ローマ・ゲルマニア防壁とゲルマン民族から想う古代日本の風景」
 出席:9名

・ 今年10月19日から1週間、建築家としての立場からドイツを視察されたご報告をスライドを見ながらを伺いました。興味深いお話でした。
・ ザールブルグにあるゲルマニア防壁はライン川とドナウ川の防壁だった。
・ ケルト時代には、デイメスに軍事基地があった。一軍団には3万5千人位いた。
・ 屋根付きの井戸など種々のタイプの井戸をかなりたくさん見かけた。
・ ディメス博物館の展示品に、測量器具や3世紀頃の工具スコップやシャベル、兜等々興味深いものがあった。
・ 都市の作り方は、軍事基地の作り方と同じ。
・ ローマ人から見たゲルマンはバーバリアン(蛮族)であったかもしれないが、地中海世界を征服したのはゲルマン。
・ ギリシャやローマなど多神教世界から、キリスト教、仏教などの一神教になったことが、現代の問題ではないか。
・ ディメス博物館で観た展示風景が、青森市南西部で発掘された縄文時代の大遺蹟三内丸山の風景ととてもよく似ていると感じた。三内丸山と似た建築もあった。ゲルマンの生活は平地、日本で言えば縄文。
・ 日本にある植物と同じイチハツやカンゾウがドイツにもある。
・ ドイツと日本の共通性は、人間性と風景だと思う。


2009年12月17日木曜日

史跡武蔵国分寺跡講堂地区発掘現場見学会(市報国分寺より)

日時:2009年12月23日(祝)午前10時からと午後2時からの2回(1時間程度。両回内容は同じ)

集合場所:直接現地(僧寺金堂跡)に集合 ※小雨決行

費用:無料

交通:JR西国分寺駅から徒歩15分、JR国分寺駅から府中営業所行き・国立駅から府中営業所行き京王バスで警察病院前停留所下車、徒歩2分。

その他:駐車場はありません。車での来場はご遠慮ください。履き慣れた歩きやすい靴で。

問い合わせ先:ふるさと文化財課 電話:042-300-0073

2009年12月16日水曜日

第5回公開講座報告

日時:2009年11月15日(日)14:00~17:00
会場:国分寺労政会館 3階 第3会議室
講師:鍔山英次さん(写真家 当会会員)
演題:スライド・ストーリー「国分寺の名水と近郷の湧水」
参加費:1,000円
参加者:41名(内会員12名)

プログラム:
 1)大岡昇平と「武蔵野夫人」(小説と映画)
 2)映画の舞台となった落合川(平成の名水百選)
 3)武蔵野とは
 4)野川源流・恋ヶ窪(日立の大池と姿見の池)
 5)“お鷹の道”湧水群と“武蔵国分寺跡”
 6)一里塚(消えた一本松)と次郎弁天の池
 7)変幻の新次郎池
     ― 休憩 ―
 8)近郷に湧水(矢川・ママ下と府崖線)
 9)国分寺崖線の大沢(三鷹)・深大寺の湧水源
10)貫井神社と蒼浪泉園
11)ハケのみちを行く
12)幻影か―川霧の野川
13)“川を撮る”想い

・ 講座当日の朝撮影された写真を含め、長い年月をかけて撮影され選び抜かれた100枚以上の写真を観ながら鍔山さんならではの想いのこもった語りに耳を傾けた2時間半近くのスライド・ストーリーは、分厚い歴史と文化そのもので、大変興味深い川の流れのような鍔山ワールドでした。
・ 鍔山さんは、昭和25年(1950年)初めて東京へ出てこられ、大岡昇平の小説『武蔵野夫人』に登場する野川を初めて知ることになります。翌年の1951年、東京西部の武蔵野が舞台となった小説『武蔵野夫人』が映画化されますが、何と映画の舞台となったのは野川ではなく、平成20年に名水百選に選定された落合川(当時は弁天川)でした。
・ 武蔵野の地形と水みち図から武蔵国分寺建立の拠り所の一つである清冽な水の存在として、野川の源流のご紹介。鍔山さんは鳥となり上空から日立中央研究所の大池や姿見の池、東山道武蔵路を鳥瞰されます。
・ 野川源流の一つである真姿の池湧水群一帯を鳥瞰すると国分寺崖線の緑が連続して保全されていることが判り、すばらしい景観です。真姿の池湧水沿いの水路で見かけることができた、湧水にしか生息しないシマアメンボやフタスジモンカゲロウといった生きものも、湧水群も景観要素です。礎石が残る武蔵国分寺跡は歴史景観です。
・ 日立中研大池からの湧水の流れとお鷹の道湧水群からの流れは一里塚の不動橋で合流します。この一里塚のシンボルツリーであった一本の赤松はトラックの荷台で幹を傷つけられ、とうとう枯れてしました。
・ 殿ヶ谷戸公園の次郎弁天の池も湧水です。殿ヶ谷戸公園が開発から保全されたのは、市民運動のおかげでした。
・ 東京経済大学のキャンパス内には5か所の湧水口を持つ新次郎池があり、その流れは鞍尾根橋下で野川に入ります。
・ 休憩前の前編では聖武天皇の詔に拠り建立された武蔵国分寺がいかなる好処に建立されたのか、聖武天皇の想い、村山先生の想いを写真によって語ってくださったように思いました。
・ 後編は近郷の湧水ということで、国立谷保の青柳崖線と矢川、府中崖線とママ下湧水の話。三鷹大沢の湧水、湧水を集めて流れる野川流域で一番の水量を誇る深大寺の湧水源と水神を祀る深大寺の森と水と川の話。
・ 小金井の貫井神社の湧水と蒼浪泉園の湧水、ハケの道のご案内。
・ 都立武蔵野公園にあるくじら山はらっぱ下の野川で早朝出会うことができるという川霧の写真は幻影的です。川霧が立つようになったのは、生活用水が流れ込み汚れてしまった野川を市民と行政とが協働で今の野川にしたことによるのです。
・ 国分寺を源流とする野川の水辺空間は、時代とともに変わり続けていくことでしょうが、野川が水無し川にならないよう、次の世代へ繋ぐことができるよう、人と生きものとが永遠に共存できる野川であれとの鍔山さんの祈りをお聴きし、その想いの写真譜を拝見できたのではないでしょうか。
 
以上簡単なご報告です。スライド上映中は、室内が真っ暗でしたので、何も書きとめることができませんでした。ご報告に間違いがあるやもしれません。