2009年9月30日水曜日

9月定例学習会報告

◆国分寺・名水と歴史的景観を守る会9月定例学習会報告
 日時:2009年9月18日(金)17:30~19:30
 会場:国分寺労政会館3階第2会議室
 講師:村山光一さん(慶応義塾大学名誉教授、当会顧問)
 演題:国分寺建立の詔に見える「好処」について(再論)
 資料代:300円(本文A3判7枚、資料A3判4枚)
 参加者:15名

約1時間半のご講話は、741年(天平13年)の国分寺建立の詔をたくさんの資料に当たり確認され再検討されたことにより、国分寺創建に際しての聖武天皇の基本的構想を明らかにされた研究発表です。
その基本構想とは、「好処」の選定に当たっては、仏教発祥の地・インドにおける最初の本格的仏教寺院である祇園精舎の寺地の佇まいをモデルとしたこと。
具体的には、『大般涅槃経』に描かれた情景を「好処」の模範としたことです。
 
武蔵国分寺跡一帯は、『大般涅槃経』に描かれた祇園精舎の情景と不思議なくらいよく似ているそうです。まさに武蔵国分寺跡一帯は、国府からも近からず、遠からず処に位置し、国分寺崖線上には木々が茂り、崖線下には真姿の池湧水群が湧き出している静寂な場所です。

このことは、おそらく時の武蔵国司たちが国分寺寺地選定に当たって、聖武天皇のあつい思いをしっかり受け止め止め、経典に記された祇園精舎に似た場所を入念に探し求めて選定したものだと思うと明言されました。天皇家と繋がりがあった武蔵国の国司・多治比真人広足に力があったということのようです。

ご講話後、いくつかの質問がありました。
・国分寺建立にあっての好処とは、「清流多き処・・・」とお聞きし、真姿の池との関係がはっきり見えて来た。祇園精舎の原風景は残っているのでしょうか。
・先ず「四神相応」を考えるが、どう思われるか。
・祇園精舎があったというインドの地形は?
・国分寺創建に当たり、国からの財政援助はあったのか?

ここ武蔵国分寺跡一帯が祇園精舎の情景と不思議なくらいよく似ていると村山先生が明言されると、なるほどここ国分寺はいよいよすごい処なのだと思えてきます。
先生がおっしゃったように武蔵国分寺跡とその周辺一帯の歴史的環境、自然環境の価値はこれまで考えられていた以上に重いものがあると言えそうです。