2009年12月19日土曜日

2009年1月定例学習会は上映会「映像で捉える多摩・国分寺の魅力」

多摩・国分寺の四季折々の豊かな自然、歴史と隣り合わせの街の風景や行事、それらの保全・再生に取り組む人々の活動など、3人の作者がそれぞれの視点から捉えた映像作品5点を上映します。

日時:2010年1月8日(金) 18:30~20:30
場所:国分寺市本町・南町地域センター 集会室 

●石原恙逸(よういつ)氏は、光公民館で活動するグループ「光ビデオ」からのご参加です。09年9月に行われた「お鷹の道映像コンテスト」で優秀賞を受賞した作品を上映します。
●上映後は、質問・感想を交え、多摩・国分寺の魅力を発信する取り組みや映像メディアの可能性、自然や歴史を活かしたまちづくりについてなど、自由に意見交換いたしましょう。

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■小田切やすひこ作品  名水の会会員/光ビデオ所属
1.国分寺の湧水 水量・水質検査の想い出 (9分17秒)
私は、真姿の池の湧水でお茶を楽しんでいます。この作品は、私の水汲み散歩の途中で出会った、湧水の検査を定期的につづけている2つのグループを取材しました。

2.さくらの嫁入り (7分10秒)
多摩さくら百年物語フォーラムのメイン活動はさくらの植樹です。私たちが、奥多摩の山で採種して、育てたヤマザクラが成長しました。その、ヤマザクラを山に戻したり、お嫁に出したりしています。関係者から大変喜ばれています。

■畑中久美子作品   名水の会会員
3.蓮物語 (5分34秒)
現・国分寺境内(万葉植物園)の奥の小さな水辺に、毎夏、見事な大賀蓮が咲きます。2005年のひと夏、その写真撮影に通いつめました。蓮の蕾から開花、結実までの写真をスライドショーに編集し、虫や台風や万葉集のエピソードを組み合わせて、物語風に仕立てた小品です。

■石原よういつ作品   光ビデオ所属
4.史跡 武蔵国分寺 (7分40秒) 
2009年9月、お鷹の道に「おたカフェ」がオープンすることを記念して、「お鷹の道」映像コンテストが催されました。「お鷹の道」映像コンテストに応募したところ図らずも優秀賞を受賞いたしました作品です。
内容は国分寺跡、薬師堂、お鷹の道近辺の春から冬の景色や、行事を記録した作品です。

5.我が町国分寺  (9分20秒)
この作品は『史跡 武蔵国分寺』の元になった作品です。
国分寺市の簡単な生い立ちと国分寺市の年中行事のようなものを記録した作品です。

お問い合わせ:meisui.keikan@gmail.com

2009年12月18日金曜日

拡大幹事会報告(2009年12月11日)

報告事項:
1. 助成金応募結果の報告:TOTOみず基金に6/25応募したが、今回は通らなかった。野川の水量確保に向けた取り組みとして玉川上水から恋ヶ窪用水の再生を助成金応募趣旨としたが、募集趣旨と少し違っていたようだ。次回は、とうきゅう環境浄化財団への応募を考えたい。とうきゅう環境浄化財団からの助成金は全額ではなく、半額程度の助成である。野川流域連絡会と連携し名水の会会員にとって、負担がないようなシンポジウムや学習会を開き、恋ヶ窪用水再生の広報をしていこう。
2. (仮称)東京みどりと水のボランティア展」(平成22年2月2日~3月1日)への展示は、12/1辞退連絡済み。

検討事項
1. 来年度の活動として、名水の会では水と歴史を軸とし、会員皆さまからのご意見を集めて整理し、来年度の活動計画を立てることにする。活動計画に関しての皆さまからのご意見、ご提案をお待ちします。
2. 来年度の活動計画の一つとして、全国の国分寺巡りを始めることにする。1年に2回程度。気候の良い4月、5月、6月、9月、10月頃を考えてはどうか。マイクロバスの定員は25名なので、20名から25名集めたい。第一候補として、下総国分寺、第二候補として下野国分寺を考えたい。
3. ビデオ鑑賞会を計画。「10年前の湧水観測と10年後の記録」「桜」、「蓮物語」など。新年早々の1/8の定例学習会をビデオ鑑賞会にしてはどうか。
4. 外の団体との交流も考えたい。
5. 名水の会総会は、2010年3月14日(日)午後開催予定。

12月定例学習会報告

 日時:2009年12月11日(金)18:00~19:30
 会場:国分寺市立本町・南町地域センター 集会室
 講師:神谷博さん(建築家、水みち研究会、当会会長)
 演題:「古代ローマ・ゲルマニア防壁とゲルマン民族から想う古代日本の風景」
 出席:9名

・ 今年10月19日から1週間、建築家としての立場からドイツを視察されたご報告をスライドを見ながらを伺いました。興味深いお話でした。
・ ザールブルグにあるゲルマニア防壁はライン川とドナウ川の防壁だった。
・ ケルト時代には、デイメスに軍事基地があった。一軍団には3万5千人位いた。
・ 屋根付きの井戸など種々のタイプの井戸をかなりたくさん見かけた。
・ ディメス博物館の展示品に、測量器具や3世紀頃の工具スコップやシャベル、兜等々興味深いものがあった。
・ 都市の作り方は、軍事基地の作り方と同じ。
・ ローマ人から見たゲルマンはバーバリアン(蛮族)であったかもしれないが、地中海世界を征服したのはゲルマン。
・ ギリシャやローマなど多神教世界から、キリスト教、仏教などの一神教になったことが、現代の問題ではないか。
・ ディメス博物館で観た展示風景が、青森市南西部で発掘された縄文時代の大遺蹟三内丸山の風景ととてもよく似ていると感じた。三内丸山と似た建築もあった。ゲルマンの生活は平地、日本で言えば縄文。
・ 日本にある植物と同じイチハツやカンゾウがドイツにもある。
・ ドイツと日本の共通性は、人間性と風景だと思う。


2009年12月17日木曜日

史跡武蔵国分寺跡講堂地区発掘現場見学会(市報国分寺より)

日時:2009年12月23日(祝)午前10時からと午後2時からの2回(1時間程度。両回内容は同じ)

集合場所:直接現地(僧寺金堂跡)に集合 ※小雨決行

費用:無料

交通:JR西国分寺駅から徒歩15分、JR国分寺駅から府中営業所行き・国立駅から府中営業所行き京王バスで警察病院前停留所下車、徒歩2分。

その他:駐車場はありません。車での来場はご遠慮ください。履き慣れた歩きやすい靴で。

問い合わせ先:ふるさと文化財課 電話:042-300-0073

2009年12月16日水曜日

第5回公開講座報告

日時:2009年11月15日(日)14:00~17:00
会場:国分寺労政会館 3階 第3会議室
講師:鍔山英次さん(写真家 当会会員)
演題:スライド・ストーリー「国分寺の名水と近郷の湧水」
参加費:1,000円
参加者:41名(内会員12名)

プログラム:
 1)大岡昇平と「武蔵野夫人」(小説と映画)
 2)映画の舞台となった落合川(平成の名水百選)
 3)武蔵野とは
 4)野川源流・恋ヶ窪(日立の大池と姿見の池)
 5)“お鷹の道”湧水群と“武蔵国分寺跡”
 6)一里塚(消えた一本松)と次郎弁天の池
 7)変幻の新次郎池
     ― 休憩 ―
 8)近郷に湧水(矢川・ママ下と府崖線)
 9)国分寺崖線の大沢(三鷹)・深大寺の湧水源
10)貫井神社と蒼浪泉園
11)ハケのみちを行く
12)幻影か―川霧の野川
13)“川を撮る”想い

・ 講座当日の朝撮影された写真を含め、長い年月をかけて撮影され選び抜かれた100枚以上の写真を観ながら鍔山さんならではの想いのこもった語りに耳を傾けた2時間半近くのスライド・ストーリーは、分厚い歴史と文化そのもので、大変興味深い川の流れのような鍔山ワールドでした。
・ 鍔山さんは、昭和25年(1950年)初めて東京へ出てこられ、大岡昇平の小説『武蔵野夫人』に登場する野川を初めて知ることになります。翌年の1951年、東京西部の武蔵野が舞台となった小説『武蔵野夫人』が映画化されますが、何と映画の舞台となったのは野川ではなく、平成20年に名水百選に選定された落合川(当時は弁天川)でした。
・ 武蔵野の地形と水みち図から武蔵国分寺建立の拠り所の一つである清冽な水の存在として、野川の源流のご紹介。鍔山さんは鳥となり上空から日立中央研究所の大池や姿見の池、東山道武蔵路を鳥瞰されます。
・ 野川源流の一つである真姿の池湧水群一帯を鳥瞰すると国分寺崖線の緑が連続して保全されていることが判り、すばらしい景観です。真姿の池湧水沿いの水路で見かけることができた、湧水にしか生息しないシマアメンボやフタスジモンカゲロウといった生きものも、湧水群も景観要素です。礎石が残る武蔵国分寺跡は歴史景観です。
・ 日立中研大池からの湧水の流れとお鷹の道湧水群からの流れは一里塚の不動橋で合流します。この一里塚のシンボルツリーであった一本の赤松はトラックの荷台で幹を傷つけられ、とうとう枯れてしました。
・ 殿ヶ谷戸公園の次郎弁天の池も湧水です。殿ヶ谷戸公園が開発から保全されたのは、市民運動のおかげでした。
・ 東京経済大学のキャンパス内には5か所の湧水口を持つ新次郎池があり、その流れは鞍尾根橋下で野川に入ります。
・ 休憩前の前編では聖武天皇の詔に拠り建立された武蔵国分寺がいかなる好処に建立されたのか、聖武天皇の想い、村山先生の想いを写真によって語ってくださったように思いました。
・ 後編は近郷の湧水ということで、国立谷保の青柳崖線と矢川、府中崖線とママ下湧水の話。三鷹大沢の湧水、湧水を集めて流れる野川流域で一番の水量を誇る深大寺の湧水源と水神を祀る深大寺の森と水と川の話。
・ 小金井の貫井神社の湧水と蒼浪泉園の湧水、ハケの道のご案内。
・ 都立武蔵野公園にあるくじら山はらっぱ下の野川で早朝出会うことができるという川霧の写真は幻影的です。川霧が立つようになったのは、生活用水が流れ込み汚れてしまった野川を市民と行政とが協働で今の野川にしたことによるのです。
・ 国分寺を源流とする野川の水辺空間は、時代とともに変わり続けていくことでしょうが、野川が水無し川にならないよう、次の世代へ繋ぐことができるよう、人と生きものとが永遠に共存できる野川であれとの鍔山さんの祈りをお聴きし、その想いの写真譜を拝見できたのではないでしょうか。
 
以上簡単なご報告です。スライド上映中は、室内が真っ暗でしたので、何も書きとめることができませんでした。ご報告に間違いがあるやもしれません。

2009年11月14日土曜日

写真家 鍔山英次さんのスライド・トーク「国分寺の名水と近郷の湧水」

参加申し込み状況:
11/14現在、41名 (定員:50名)
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国分寺・名水と歴史的景観を守る会は、11/15に第5回公開講座を開催します。
今年7/12、加藤九祚先生をお招きした第4回公開講座(中央アジアの仏教遺跡 玄奘三蔵が歩いた道)に続いて、今年2回目の公開講座です。

第5回公開講座は、野川をはじめとして自然を題材とする写真家として著名な鍔山英次さんのスライド・トーク「国分寺の名水と近郷の湧水」です。
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スライド・トーク:「国分寺の名水と近郷の湧水」
講師:写真家 鍔山英次 氏

日時:2009年11月15日(日) 14:00~17:00
会場:国分寺労政会館  3階第3会議室(定員50名)
会費:1,000円
主催:国分寺・名水と歴史的景観を守る会


<ご紹介>
鍔山英次氏は、野川をはじめとして自然を題材とする写真家として著名で、東京新聞の報道カメラマン時代に撮ったカルガモの引っ越しの写真でもよく知られています。小金井市在住で、「生きている野川」「ミスティモーニング」「深大寺」などの写真集も出版しています。また、武蔵野全域にわたる歴史にも造詣が深く、カメラの眼から歴史を語るトークでも独特の世界を築いています。

<内容予定>
野川と落合川の源流考、大岡昇平の「武蔵野夫人」とその舞台、野川源流恋ヶ窪界隈と東山道武蔵路、「好処」としての武蔵国分寺の位置と水辺環境、三鷹・調布の湧水群と深大寺、武蔵国の神社の分布と小野神社・氷川神社・大国魂神社、崖線の二重構造(青柳、府中)と谷保天神・ママ下湧水群、野川の川霧の彼方に古代武蔵野の原風景を追想する。

<会場>
国分寺労政会館
〒185-0021国分寺市南町3-22-10  電話:042-323-8515
JR中央線「国分寺駅」南口下車 徒歩5分

<参加申込み・お問い合わせ>
国分寺・名水と歴史的景観を守る会:meisui.keikan@gmail.com
までメ-ルで。
お名前、ご住所、電話番号をお知らせください。

ウェブ検索
鍔山英次さんの写真が見られるサイト(鍔山英次 野川の行方


2009年10月1日木曜日

10/18「今井堯さんの業績と軌跡をたどる会」ご案内

私どもの会の前会長今井堯さんが4月21日に亡くなり、早くも5か月余りが過ぎました。考古学分野で大変栄誉ある第10回和島誠一賞受賞をご自身で享受することもなく、著書の上梓を目にすることも叶わなかったことは誠に残念でなりません。

このたび当会は、今井さんの第10回和島誠一賞受賞と、『天皇陵の解明―閉ざされた「陵墓」古墳』の出版を記念して、10月18日(日)午後1時より国分寺労政会館において【今井堯さんの業績と軌跡をたどる会】を開催することにいたしました。
第三部の記念講演では、今井前会長の親友甘粕健先生(新潟大学名誉教授、新潟市立歴史博物館館長、元日本考古学協会会長)がご講話くださいます。

その生涯を青春で生き、正しいと思ったことを貫いた反骨の考古学者、故今井堯前会長の学問的業績と軌跡をたどり、顕彰したいと思います。

会員以外の一般の方もご参加いただけます。
下欄要領にてお申し込みをお願いいたします。
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第10回和島誠一賞受賞記念
『天皇陵の解明―閉ざされた「陵墓」古墳』出版記念

生涯を「青春」と「反骨」で生きた考古学者

今井堯さんの業績と軌跡をたどる会

日時:2009年10月18日(日)13:00~17:00
会場:国分寺労政会館 地下1階第1会議室(定員70名)
  〒185-0021国分寺市南町3-22-10  電話:042-323-8515
  JR中央線「国分寺駅」南口下車 徒歩5分
会費:2,500円 (今井さんの本 [定価2,800円+税] を含む)
主催:国分寺・名水と歴史的景観を守る会

<プログラム>                    
第一部:報告 ― 今井堯さんの学問的業績をたどる
勅使河原彰(考古学者 文化財保存全国協議会)

第二部:座談会 ― 今井堯さんの人柄と学問  司会:勅使河原彰
椚國男 (高尾山天狗裁判原告団幹事 国史跡八王子城とオオタカを守る会前代表)

村山光一(国分寺・名水と歴史的景観を守る会 旧・東山道を保存する会)
坪田幹男(ふじみ野市教育委員会生涯学習課文化財保護係)
小松崎栄(日本アジアアフリカラテンアメリカ連帯委員会)

第三部:記念講演 ― 今井堯さんの古墳研究
甘粕健 (新潟大学名誉教授 新潟市歴史博物館館長 元日本考古学協会会長)

<今井堯さんの取り組みと業績>
◆ 昨年、16の学会代表者による神功皇后陵への立ち入り調査が行われました。陵墓に学会の立ち入りが認められたのは初めてで陵墓公開へむけての大きな前進となる画期的なできごとでした。これは76年に日本考古学協会など10団体が陵墓の保護と公開を求める声明を発表いらい、多くの人々がこの運動を各地、各分野で進めてきた結果です。なかでも今井堯さんは文化財保存全国協議会の陵墓特別委員長として、また古墳研究家の立場からも陵墓公開の意義を訴えて活動されてきました。

◆ 一方、今井さんはかねてから文化財の保存にも関心をもち、多くの出版物を通じて遺跡の保存の大切さを叫び、各地の遺跡保存運動にもかかわりました。とりわけ国分寺市内で発見された東山道の遺跡の保存にも大きく貢献し、更に武蔵国分寺跡に大型マンションが建設される計画に対しては強く抗議し、その反対運動の先頭にたって活動されました。

◆ これらの今井さんの活動に対し今年、文化財保存に功績のあった人に贈られる第10回の和島誠一賞が贈られました。その今井さんが渾身をこめて書き上げた著作『天皇陵の解明―閉ざされた「陵墓」古墳』が今秋刊行されますが、闘病中であった今井さんはそれを待たず残念ながら今年4月に亡くなられました。

◆ ついては和島誠一賞受賞と著書刊行を記念し、その生涯を青春で生き、正しいと思ったことを貫いた反骨の考古学者、当名水と歴史的景観を守る会前会長故今井堯さんの業績と軌跡をたどり、顕彰したいと思います。 

<参加申込み・お問い合わせ>
国分寺・名水と歴史的景観を守る会:meisui.keikan@gmail.com
までメ-ルで。
お名前、ご住所、電話番号をお知らせください。

今井堯さんに関連する記事:
前会長今井堯さん逝去 和島誠一賞受賞
きょう(6/14)和島誠一賞授賞式 前会長(故)今井堯さん受賞


NPO法人安房文化遺産フォーラム
第10回和島誠一賞を受賞された団体
歴代受賞者が紹介されています。
ホーム:http://bunka-isan.awa.jp/

2009年9月30日水曜日

9月定例学習会報告

◆国分寺・名水と歴史的景観を守る会9月定例学習会報告
 日時:2009年9月18日(金)17:30~19:30
 会場:国分寺労政会館3階第2会議室
 講師:村山光一さん(慶応義塾大学名誉教授、当会顧問)
 演題:国分寺建立の詔に見える「好処」について(再論)
 資料代:300円(本文A3判7枚、資料A3判4枚)
 参加者:15名

約1時間半のご講話は、741年(天平13年)の国分寺建立の詔をたくさんの資料に当たり確認され再検討されたことにより、国分寺創建に際しての聖武天皇の基本的構想を明らかにされた研究発表です。
その基本構想とは、「好処」の選定に当たっては、仏教発祥の地・インドにおける最初の本格的仏教寺院である祇園精舎の寺地の佇まいをモデルとしたこと。
具体的には、『大般涅槃経』に描かれた情景を「好処」の模範としたことです。
 
武蔵国分寺跡一帯は、『大般涅槃経』に描かれた祇園精舎の情景と不思議なくらいよく似ているそうです。まさに武蔵国分寺跡一帯は、国府からも近からず、遠からず処に位置し、国分寺崖線上には木々が茂り、崖線下には真姿の池湧水群が湧き出している静寂な場所です。

このことは、おそらく時の武蔵国司たちが国分寺寺地選定に当たって、聖武天皇のあつい思いをしっかり受け止め止め、経典に記された祇園精舎に似た場所を入念に探し求めて選定したものだと思うと明言されました。天皇家と繋がりがあった武蔵国の国司・多治比真人広足に力があったということのようです。

ご講話後、いくつかの質問がありました。
・国分寺建立にあっての好処とは、「清流多き処・・・」とお聞きし、真姿の池との関係がはっきり見えて来た。祇園精舎の原風景は残っているのでしょうか。
・先ず「四神相応」を考えるが、どう思われるか。
・祇園精舎があったというインドの地形は?
・国分寺創建に当たり、国からの財政援助はあったのか?

ここ武蔵国分寺跡一帯が祇園精舎の情景と不思議なくらいよく似ていると村山先生が明言されると、なるほどここ国分寺はいよいよすごい処なのだと思えてきます。
先生がおっしゃったように武蔵国分寺跡とその周辺一帯の歴史的環境、自然環境の価値はこれまで考えられていた以上に重いものがあると言えそうです。

2009年9月16日水曜日

2009年9月の定例学習会 国分寺建立の詔にみえる好処について(再論)

日時:2009年9月18日(金)17:30~19:30
会場:国分寺労政会館 3階第二会議室
講師:村山光一さん(慶応義塾大学名誉教授、当会顧問)
演題:「国分寺建立の詔にみえる好処について(再論)」
資料代:300円

国分寺建立に当たっての聖武天皇の思いと同時に村山先生の渾身の思いが詰まった研究発表です。貴重なお話がお聴きできる機会です。皆さまご友人をお誘いの上ご参加ください。よろしくお願いいたします。



2009年9月15日火曜日

7月12日(日)開催の第4回公開講座のご報告

当会が120人規模の公開講座を開催したのは初めてのことでした。参加申し込み締め切り前に定員いっぱいとなり、加藤先生の人気の高さに圧倒されました。
先生はこの日のためにB4版14枚にわたる資料を作ってくださり、感激でした。
87歳とは思えないタフネスさで、休憩時間も入れず3時間ご講話を続けられました。

日時:2009年7月12日(日)14:00~17:30
会場:国分寺労政会館4階第4会議室(定員120名)
講師:加藤九祚さん(人類学者。専攻はシベリア・中央アジアの文化史)
演題:中央アジアの仏教遺跡 ― 玄奘三蔵が歩いた道
参加費:500円(資料代を含む)
参加者:119名(講師を含む) 内当会会員の参加者:15名

◆質問の何件かをご紹介:
・基本的な質問で恐縮ですが、中央アジアの国名「○○STAN」の由来と意味を教えてください。
・三蔵が渡印(インド)した時、インドはヒンズー教が主流となり経典入手が困難であったと聞い
 てますが、彼は中央アジアの諸国で経典を入手したのですか。
・古代中国医学とインドのアユルベーター医学との交流があったのでしょうか。先生の御意見を伺います。
・遺跡から、キビ・アワ・コムギなどの穀物種子は発掘されましたか。何年頃のものと推定されますか。
・87才にして発掘作業を続けられる原動力は何でしょうか。


◆アンケート用紙でのご感想の何件かをご紹介:
・永年の遺跡発掘に携われた加藤先生のお話を聞いて、大変感心しました。
・各地の遺跡を拝見して非常にロマンを感じました。人間とは、創造を追求する生きものなのだという実感が湧き好奇心をかきたてられました。ありがとうございました。
・あふれるような情熱で豊かな経験と資料をおしみなくお話し下さりありがとうございました。仏教の来し方、ルーツをますます勉強したくなりました。
・臨場感あふれるお話がとても興味深かった。又、機会があったらぜひ再びこのようなお話を聞きたいと思いました。
・かねてより中央アジア特にウズベキスタンに興味がありました。以前、ロシア語をウズベク人(ロシア系)の先生に習ったことも理由の1つですが。加藤先生は、たびたび「不思議発見」とかのTV番組でお見かけして、この度伺えて大変嬉しくお話を聞けました。合い間の先生の雑談的話も大変興味深かったです。
・私は、今日本人の起源と文化に大変興味を持っています。その中で、シルクロードと仏教は、重要な項目であると考えます。講義を拝聴して、「大唐西域記」を読もうと思いました。今後ともお元気で御活躍下さい。本日は、有難うございました。
・古代仏教や遺跡の興味深い話であった。予備知識がなく、うまくつながらなかった。国分寺崖線の自然と景観を見る・知るイベントにぜひ参加したい。


2009年7月2日木曜日

第4回公開講座(国分寺・名水と歴史的景観を守る会主催)

<最新の申し込み状況>

満員御礼

定員120名、満席となりましたので、受付を終了いたします。(7/2午前)
多数のお申し込み、ありがとうございました。


演題:中央アジアの仏教遺跡 玄奘三蔵が歩いた道

講師:加藤九祚(かとうきゅうぞう)さん

日時:2009年7月12日 14:00~16:30 (13:30開場)
場所:国分寺労政会館 第4会議室  (4階 エレベ-タ-あり)

    (国分寺市南町3-22-10 電話:042-323-8515)
地図: JR、西武線 国分寺駅南口 徒歩5分
http://navitokyo.com/042-323-8515/
定員:120名
参加費(資料代を含む):500円 (当日、会場にて)


あの加藤九祚さんが国分寺にやってくる!!
▼第四回公開講座は、シベリアと中央アジアの文化史の研究者として著名な加藤九祚(かとうきゅうぞう)さんをお招きして、中央アジアの仏教遺跡についてお話をうかがいます。
▼加藤先生は、ウズベキスタンの最南端テルメズの郊外のカラテパ遺跡で発掘調査を続けておいでです。テルメズは東西文明の十字路と言われるところで、カラテパ遺跡は
クシャン朝(1~3世紀ごろ)の遺跡だそうです。
▼7世紀前半、
シルクロ-ドを辿って中国からインドへ仏教を学びに行き、多くの経典を持ち帰ったあの玄奘三蔵(三蔵法師)も通ったところ。カラテパ遺跡で加藤先生が発見した大型ストゥーパ(仏塔)の遺構は、玄奘三蔵が見た仏塔のひとつだと考えられているそうです。玄奘の旅の記録は「大唐西域記」(だいとうさいいきき)として残されており、テルメズは「大唐西域記」に坦蜜国(坦は口ヘン?)の名で登場します。当時「伽藍は10余ヶ所、僧徒千余人」がおり、多くのストゥーパがあったと書かれているそうです。
▼現地でもカト-センセイ!と親しまれ、今年も5月末までウズベキスタンに滞在。帰国直後の加藤先生から、ホットなお話をうかがいます。


■参加申し込み方法
 満席となりましたので、受付を終了しました。(7/2)
2009年7月4日(土)までに、国分寺・名水と歴史的景観を守る会 宛てにメ-ルでお申し込みください。
講座名、参加される方のお名前、ご住所、電話番号を明記ください。 複数の方がまとまって申し込む際は、人数と各人のお名前をお書きください。
参加申し込みをいただきますと、国分寺・名水と歴史的景観を守る会から受付完了のメ-ルを差し上げますのでご確認ください。
申し込み締め切りは2009年7月4日(土)ですが、定員120名に達した時点で、受付終了とさせていただきます。


■加藤九祚さんプロフィ-ル
▼人類学者。専攻はシベリア・中央アジアの文化史。
創価大学国立民族学博物館名誉教授。大阪大学学術博士、ロシア科学アカデミー名誉歴史学博士。
1922年生。1944年満州に出征。陸軍工兵少尉。敗戦でソ連軍捕虜となりシベリア抑留は5年に及ぶ。この間ロシア語を習得。
▼帰国後、上智大学文学部ドイツ文学科卒業。
ユーラシア大陸の考古学等の研究で、大佛次郎賞南方熊楠賞など受賞多数。著書「シベリアの歴史」他。論文多数。
▼1998年、ウズベキスタン科学アカデミー考古学研究所と共同で、テルメズ郊外カラテパでクシャン時代の仏教遺跡の発掘を開始、現在も発掘継続中。
▼2001年より一人雑誌『アイハヌム』を毎年刊行中。2002年
ウズベキスタン政府より「ドストリク」(友好)勲章、テルメズ市より「名誉市民」章を受ける。

■加藤九祚さんを紹介しているサイト(プロフィ-ル・講演・エピソ-ドなど)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はてなキ-ワ-ド
加藤九祚 - VisWiki
上智大学ソフィア会ホームページ - ニュース
一筆入魂:[249]ウズベキスタン協会10周年と加藤九祚さんのシルク ...
ウズベキスタン考古学新発見展

■加藤九祚さん著書
加藤九祚 作品一覧: 紀伊國屋書店BookWeb
ジュンク堂書店 加藤 九祚
典拠詳細 国学院大学図書館
国立民族学博物館 友の会 『季刊民族学』116号
 特集|アム・ダリヤに魅せられて── 中央アジアと加藤九祚 ──

■国分寺・名水と歴史的景観を守る会のこれまでの学習会と公開講座
http://meisui-keikan.blogspot.com/2009/05/090511.html

2009年6月18日木曜日

玄奘三蔵が歩いた道をgoogle mapでたどる

ちょっと予習のペ-ジです。
玄奘三蔵が歩いた土地を手持ちの資料やウェブで調べて、google my mapに落としてみました。
まだ、地名を入れただけで解説は書いておらず、作りかけの地図ですが、大きな地図を開いてご覧ください。
「航空写真」や「地形」で見ると、シルクロードをたどって天竺へと向かった玄奘三蔵の旅がいかに厳しかったか想像できます。
「その他」の中から「写真」を選ぶと、世界中の人が貼り付けた現地の写真が見られます。
地図検索ボックスに地名を入れて検索すると、その土地について世界中の人が書いた解説が読めます。(日本語のものもたくさんあります)
加藤九祚さんが発掘してる「カラテパ遺跡」も空から見られます。


より大きな地図で シルクロ-ド玄奘三蔵が歩いた道 を表示

●往路:濃い青のマ-ク
●目的地ナ-ランダ:緑色のマ-ク
●巡礼と復路:ライトブル-のマ-ク
●テルメズ:赤、カラテパ遺跡:黄
●おおよそのル-トをなぞるライン(紫色)は作成中。現在、玄奘の目的地ナーランダ(インド)まで。

大きな地図を開き、Google map画像の上の「Google Earthで表示」をクリックに続いて「開く」をクリックすると、Google Earthの機能を使って上空からのツア-ができます。(Google Earth5.0のみ。)

まるで、孫悟空の觔斗雲(きんとうん)に乗ったみたいに、砂漠のオアシスからオアシスををひとっ飛び。苦労して砂漠を渡った三蔵法師さんに申し訳ないほどですが、どんな場所を旅したのかがよくわかります。

Google Earth5.0のダウンロ-ド・インストール(無料)は:http://earth.google.com/

Google Earthを開いたら:
▼Google Earth画面の左縦欄「場所」の中の「シルクロード玄奘三蔵が歩いた道」をダブルクリック。さらに「場所」欄右下の四角いマークをクリックするとツア-がはじまります。

▼さらに、場所の下のほうにある「ル-ト」を指定して、「場所」欄右下のル-トマ-クをクリックすると、ル-トにそって低空飛行で旅ができます。

名水の会の学習会・公開講座の今年のテ-マは「仏教伝来」。玄奘三蔵が仏法を求めて天竺へ向かったル-トは、仏教が伝わったル-トをさかのぼったものでした。それは、オアシスからオアシスを結ぶ線の連続。つまり、道は水と水を結ぶところにできたのでした。モノも文化も、水のある場所から水のある場所へと運ばれて行ったのです。まさに、人の道は水の道。

2009年6月14日日曜日

きょう(6/14)和島誠一賞授賞式 前会長(故)今井堯さん受賞

今井堯前会長の受賞が決まっている第10回和島誠一賞の授賞式は、今日(6/14)、同志社大(京都市上京区)で開かれる文化財保存全国協議会第40回京都大会シンポジウムのなかで行われます。

和島誠一賞は、2000年に設けられた賞で、その趣旨は、20世紀後半に行われてきた歴史的環境を保存する文化財保存運動の先駆けをなし、また大きな足跡を残した考古学者故和島誠一氏を記念した文化財保存の賞です。
本年度第10回和島誠一賞の受賞者は、個人部門今井堯氏、団体部門 緑と教育と文化財を守る会(京都府城陽市)、NPO法人安房文化遺産フォーラム(千葉県館山市)   の3者です。

今井 堯氏
文化財保存全国協議会常任委員、国分寺・名水と歴史的景観を守る会顧問
著書 『巨大古墳と倭の五王』、『古代東国と大和政権』
1932年岡山県生まれ、東京都国分寺市在住 76歳
文化財保存運動の中核として50年間以上活動するとともに、東山道や武蔵国分寺の歴史的景観の保護運動に献身的に担ってきた。また陵墓古墳の検証と保存公開を求める16学会の運動に献身してきた業績が高く評価され、第10回和島誠一賞に選考されました。

きょうは、東山道や武蔵国分寺の保存に力をつくされたこの国分寺の地から、今井さんの受賞をお祝いしたいと思います。

国分寺・名水と歴史的景観を守る会では、今秋、今井堯さんの足跡をたずねる会を開き、今井さんの業績を顕彰します。(10月18日の予定)
▼右上写真は、2008年3月16日、当会総会の基調講演(公開講座Ⅲ)で熱弁をふるう、在りし日の今井さん。 演題:武蔵国分寺と民衆―瓦を寄進した女性戸主と防人の妻の歌
▼前会長今井堯さん逝去 和島誠一賞受賞(当ブログ内記事):
http://meisui-keikan.blogspot.com/2009/05/blog-post_4247.html

文化財保存全国協議会 第40回記念京都大会(基調報告と研究発表)


NPO法人安房文化遺産フォーラム
第10回和島誠一賞を受賞された団体。歴代受賞者が紹介されています。
ホーム:http://bunka-isan.awa.jp/

2009年6月12日金曜日

2009年6月定例学習会 テ-マは東山道です

名水の会の6月定例学習会は、5月同様国分寺市からの出前講座です。
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日時:2009年6月12日(金)14:00~17:00 
会場:国分寺市本町・南町地域センター 学習室 
講師:小野本敦さん(国分寺市教育委員会ふるさと文化財課学芸員)
演題:古代国家の成立と東山道 ―武蔵国の事例を中心に―
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<学習会レポ-ト>
・出席者9名
・6月の定例学習会は国分寺市ふるさと文化財課からの出前講座。講師は、ふるさと文化財課へ勤めて今年で4年目という若い学芸員小野本敦さん。
・資料はA3判4枚(レジュメ1枚、図版3枚)。資料の残部があります。ご希望の方は、事務局までご連絡ください。

・レジュメに沿って
1.古代国家と道路 2.五畿七道と駅路の成立  3.東山道武蔵路の発見 4.考古学からみた古代道路―東山道武蔵路を中心に

講話後、質問や感想があった。
・東山道武蔵路の側溝は排水の意図はなく、道路幅12mの明示ではないか。→側溝の深さが一定していないから、排水の用はなさなかったかと。

・旧第四小学校跡地から出土した10C後半の土器は土師器かそれとも須惠器か。→素焼の須惠器であった。八王子辺りで焼いたのではないか。

・その出土した墨書土器の大きさは?→直径14センチ、高さ5、6センチ。

・関東の土は雨が降るとドロドロになるが、東山道武蔵路の道路硬度は馬中心に考えたのか。→実際には判らない。場所にも因るのでは。

・旧第四小学校跡地の側溝の保存はどのようにするのか。展示方法は?道路と側溝との一体性を持たせた保存展示方法が良いし、全体を見渡せる施設が必要。→参考にします。

・駅路の話があったが、伝路があることにも一言触れてほしかった。

・古代の地形と道との関連が判る図例えば、多摩川をどこで越えていたのかとか荒川との関連なども知りたかった。

・武蔵国の東山道は、斜面地、平地、湿地と変化に富むが、とにかく真っすぐな道路を作ったことは大変なことだったと思う。

・遺跡の保存整備に当たっては、国分寺の遺跡を誇りに思えるよう、国分寺の財産だと認識できるように願いたい。

2009年5月20日水曜日

国分寺・名水と歴史的景観を守る会 2009年後半の活動予定

2009年度後半の活動テ-マ:仏教伝来
2009年6月12日(金) 6月定例学習会
古代国家の成立と東山道 ―武蔵国の事例を中心に― 詳細
引き続き、拡大幹事会

2009年7月12日(日)第4回公開講座
中央アジアの仏教遺跡 玄奘三蔵が歩いた道  詳細

2009年8月 恒例の納涼会・拡大幹事会

2009年9月18日 9月定例学習会
日時:2009年9月18日(金)17:30~19:30
会場:国分寺労政会館 3階第二会議室
講師:村山光一さん(慶応義塾大学名誉教授、当会顧問)
演題:「国分寺建立の詔にみえる好処について(再論)」
資料代:300円

2009年10月18日
第10回和島誠一賞受賞記念
『天皇陵の解明―閉ざされた「陵墓」古墳』出版記念
生涯を「青春」と「反骨」で生きた考古学者「今井堯さんの業績と軌跡をたどる会」
故今井堯さん(当会前会長)の考古学研究者としての業績を顕彰し、第10回和島誠一賞受賞と、天皇陵研究を集大成した本の出版を祝います。
報告:勅使河原彰さん
記念講演:甘粕健さん
詳細

2009年11月15日 第5回公開講座
スライド・トーク:「国分寺の名水と近郷の湧水」 講師:鍔山英次さん(写真家)
詳細

2009年12月 忘年会

2010年度の活動テ-マ:水と国分寺
年に1回か2回の全国国分寺めぐりをし、各国分寺の水とのかかわりを中心に、その立地を見て歩きます。

2009年5月15日金曜日

2009年5月の定例学習会 野川・自然 古今風景

国分寺市緑と水と公園課からの出前講座は初めてでした。

日時:2009年5月14日(木)18:40~20:30
会場:国分寺市本町・南町地域センター学習室
講師:松本徹さん(国分寺市緑と水と公園課緑と水係長)
演題:野川・自然 古今風景
出席者:14名
 
古くから東元町3丁目にお住まいの方が描かれた戦前・戦後のスケッチ画17枚とそのスケッチ現場の解説文の紹介。
スケッチと同じアングルで20年前に撮影された写真。
松本係長撮影の現在の現場写真合計75枚の映像を観賞しました。

以下17枚のスケッチ画についての解説文です。

①泉町 中央線方面を望む(泉町1-2)
野川をはさんで西側に水田と雑木林の丘、その先に中央線の土手があり、さらにむこうに森(現在の日立研究所、ここが野川の水源地)が青くかすんで見えた。国分寺駅から国立方面に行く途中の野川の土手に立つと、中央線に機関車が貨車を引いてよこぎる時、1枚の絵はがきのような美しいながめだった。左手の水田は深い田で、右手の水田は堅田でよく農耕馬が入っていた。この辺りの川には、はるばる多摩川から遡上してきたハヤがここまで来ていた。水草の下をそっとさぐると、手づかみでこどもでも魚とりができたところだが、昭和30年代から住宅化が進み、40年代開発が更に進みすべての水田が消滅している。

②めがね橋(泉町)より下流押切間方面を望む(東元町3-30)
左手が国分寺駅南口(岩崎別荘)及び、くるま坂である。前方の丘の畑が押し流された残りの押切間である。ここで大川(野川)を堰止め、昔、右方向府中刑務所東側を通り、南へ水を流そうとしたが失敗した。右方向の森林は天野別荘(知念医院)、殿ヶ谷戸公園に並ぶ別荘があった。

③くるま坂とみどり橋周辺(南町3-1)
旧一小に通学する子供達にとって、くるま坂周辺は生きた社会教育のメッカだった。ハケの道ばたに流れ出る清水につかる、小さな石をそっとひっくりかえすと、小さな沢ガニが出てきた。そこには、さまざまな水生動物や植物があり、子供達はそれを手に取って見てきたものです。雑草やこけむす穴ぼこ だらけの坂道のあ所をとられながらくだると、眼下に広がる水田、桑畑、丘、遠く多摩の山々が青くかすむ、武蔵野の自然が目にしみる風景を記憶している。戦後、坂の途中から道路が野川に向かって一本できて、川に緑橋(昭和37年施工)という橋がかかった。さらに、その先の押切間の丘も周りの水田に切りくずされて、都の住宅に生まれ変わり、かつての素晴らしい風景は今は見ることはできません。

④野川・馬洗い場(不動橋より100mの所)(東元町3-25)
野川周辺の水田は一部深い田を除き大半は堅田で牛馬が入って作業ができたが、戦前は、手で押す船等の手作業と合わせて馬力を主にした馬耕しろかきも盛んに行われた。戦後20年から10年間、この地域には約15頭の農耕馬が使われていた。特に畑に使う堆肥を作る重要な役目も果たしていた。この洗い場に馬を入れ水をかけて洗う人、草を食み水を飲む馬も、仕事を終えた時のすがすがしい田園の風景をよく見かけたものですが、この洗い場も昭和60年河川改修のため消滅した。

⑤都道・国分寺街道より上流石橋(不動橋)及び押切間(緑橋)方面を望む(昭和18年頃)
左手に水田あり、押し流されたつき山の残りの丘(押切間)がある。戦後田んぼへくずして今はない。石橋は4枚(幅35㎝)の御影石で、河川改修の時(戦後)なくなる。田水用堰は、大正12年施工され(幅3m、高さ1m)、昭和40年代に取り壊した。現在の緑橋はなく、道路は砂利で右手道沿いに清水が流れ、沢ガニが生息していた。昭和16年頃には、多摩川から天然アユ、ヤマベ、コイ、ウナギ等が遡上していた。右手道の先に坂あり、昔はくるま坂と言った。

⑥不動橋周辺を望む(東元町3-13)
この場所は、地域の人々にとって又野川水系の水田にとっても大変重要な所で、子供達にとっても、ここは忘れることのできない思い出のあるところです。不動橋(旧大川)に堰があったところで、雨が降らない時は、ここで雨乞いの行事をしたり、子供達は釣りをしたり、泳いだりした遊び場でもあります。石橋はかつては木の橋で、天保3年石野橋に作り替えているが、その後何回か改修されている。戦後河川改修のため石橋がなくなり、木の橋(昭和44年)になって、不動橋と名付けられ、その後昭和60年河川改修の為今度は鉄の橋になった。あさひ市場のところは、かつては野川ではなく、元町用水から水を引く水田だった。国分寺街道の左手に高島別荘があったところですが、酒屋、薬屋などの並ぶ住宅街に変身している。

⑦駅坂下 湧水の丘(南町3-14)
今の国分寺街道から駅南口に通じる坂の入口で、旧岩崎別荘と万年塀で仕切られていた。桜や紅葉の大木などが日影をつくり、その下にこんこんと冷たい清水が湧いていた。この清水は、今のスタンドがあるところである。水道のない時代、雨がなく井戸が涸れてもここだけは絶えることなく出ていたので、住民にとってとっても重要な水源だったが、今はほとんど出ていない。

⑧旧一小附近と駅周辺の風景(南町3-8)
このふうけいは、昭和16年当時を再現したものですが、遠くに旧一小が見えている。右手下に現在駅に通じる公園脇の道路がみえるが、かつては農道だった。駅前広場が、中央の小屋のあたりで、畑が団地と商店街になっている。手前は、松林とシャガの原っぱで、子供達のホームグランドだった。旧一小の東境より見えるところすべて、旧岩崎別荘の農場であった。駅周辺には、岩崎別荘のほか、つる田別荘、天野別荘、高島別荘、そして中央線北側に今村別荘(現在の日立研究所)がある。駅周辺に多くの大別荘が集中しているのは、この地が山あり川ありで、いかに自然の環境が素晴らしかったかがわかる。

⑨南町ビル(南町2丁目)屋上より南(東元町3丁目)国分寺街道・府中方面を望む
現在の国分寺街道へ下る駅南坂は、昭和33年に開通しましたが、かつては岩崎別荘の通用口であって、一般の方は出入りできなかった。道幅も狭く土の道だった。下ると、東元町3丁目(元本村)に入ると、菓子雑貨屋と酒屋4軒、精米屋1軒、自転車屋1軒、自動車運送屋1軒であった。

⑩不動橋下(石橋)田用水堰
昭和17、18年頃の風景である。雨が降らなく、農作物に被害が出るのを心配して、雨乞いを行った。この行事は、大田区の雨乞いや青梅の雨乞い行事とやり方が全く同じである。村中歩いて、水をかけて歩いた。戦後一度、雨の降らない時におこなわれ、朝から夕方まで村十を歩き廻り、めったに呑めない酒を呑んで神輿を引きづって歩き、さいごは野川の中まではいって、数人が水を飲むということもありました。

⑪大橋(一里塚橋)上流より下流、丸山方面を望む
左手が岩崎別荘(殿ヶ谷戸公園)、その先が駅南口である。前方の丘が丸山で、その手前の森がつる田別荘である。右の塚が一里塚で、今はそば屋さんになっている。さらに右側が高島別荘の木森である。国分寺街道の手前は水田で、今はあさひ市場になっている。水田に沿って代ちゃん掘(元町用水)が流れている。(東元町3-13)

⑫元町用水とその周辺(東元町3-4)
元町用水は西本町1丁目、東元町3丁目の丘のハケから湧き出る清水が水源で、西元町~東本町を1キロ流れて不動橋下の野川と合流している。右手の奥に畑があって、ごぼうなどの野菜が栽培されていた。用水に沿って7、8枚の水田があったが、冷たい水なので、田があたたまらず、あまりお米がとれない時もあった。この用水には、ホタル、ハヤ、フナ、ドジョウ、砂モグリ、タナゴ、川エビなどが生息していた。特にホタルはたくさんいましたが、30年代開発が進み、今はほとんど姿を見ることができません。この風景は昭和16年当時を再現したものです。向かいの家が筆者の生家。

⑬つる田別荘より北、岩崎別荘(殿ヶ谷戸公園)を望む(東元町2-20)
右前方が田村別荘。その先が国分寺街道を経て中央線に出る。左前方の坂が現在の南口へ行く坂でとうじは赤土のすべる道だった。前方の万年塀の手前に清水が湧いていた。

⑭丸山橋上流より下流 小金井方面を望む
左手の山は丸山(南町)右手は東部(東元町1、2丁目)当時の丸山は松の大木と雑木林で家は一戸もなかった。お稲荷さんが1つあるだけだった。東側ハケより清水が出ていた。このあたりの水田地帯には、ヘビ、カエルが多く生息していて、子供達の遊びの場であった。手前に見えるのが丸山橋である。(東元町2-4 大和マンション屋上より望む)

⑮ハタ歯科前岩崎別荘(南町2-5)坂上より東方中央線方面を望む(昭和17年頃)
左手の森は、殿ヶ谷戸公園。その下に水田とあひるの池があった。岩崎別荘内より清水が水田を通り、大川(野川)に入っていた。公園ハケ下の道が旧国分寺街道、その先の中央線に突きあたり、踏切(無人)があった。右手の丘は丸山(南西)で国分寺街道沿いは、崖になっていた。

⑯長谷戸橋たもと(東元町1丁目ビル屋上4階)より南西第一小学校を望む
昭和20年頃の風景である。中ほどの木森は、現在の平安神社のある東元町1丁目の部落で、周辺は桑畑かいも畑、陸稲などの畑だった。丸山(南町1丁目)頂上より南方を望むと木影にかくれて、人家は殆ど見当たらず、春、夏は緑の平原といった感じで、遠く多摩の山々が霞む素晴らしい眺めだった。ヒマラヤの高木のところが、現在の一小のあるところである。

⑯長谷戸橋たもとより(東元町1丁目マンション屋上4階)西北、丸山及び野川上流平安橋方面を望む
昭和20年頃、丸山(右手の高台)には、家が全くなく、お稲荷さんが一つあった。丸山下には、数軒の家があった。丸山と野川の間は水田で、現在の東元町の人々が作っていた。この辺の水田は、上流不動橋(旧石橋)のところから水を引いていたが、田用水が少なく、大変農民は苦労した。野川から左手は、現在の東元町1丁目、その先が2丁目、3丁目と続く。

⑰長谷戸橋周辺と貫井方面を望む(東元町1-14)
中央の道は、国分寺駅から東へ丸山東側を通り抜け野川にかかる長谷戸橋を渡り、小金井市貫井に至る。現在の通りと全く同じで、かつてはこの道を子供達がてくてくと歩いて、夏の暑い盛りこの先の貫井弁天のプールまで泳ぎに通った。陽炎のたつ草いきれのする砂利道だった。野川を挟んで、右手が桑やいもの畑で左手に川と岡にはさまれてすいでんが広がっていた。この辺の水田は、40年代に悪水のため消滅し、住宅地に生まれ変わっている。

戦前、戦後の国分寺周辺の野川の克明なスケッチ画が実にすばらしく大変興味深いものでした。後年になってのスケッチ画と聞き、その記憶の確さにも驚きます。
この貴重な資料が、散逸しないようにと緑と水と公園課がパソコンに取り込んだことにより、多くの人が観賞できるようになったことに感謝したいと思います。
それにしても、戦前の野川は大川と呼んでいただけあって水量豊かな清流だったのです。

2009年5月12日火曜日

前会長今井堯さん逝去 和島誠一賞受賞

4月21日、今井堯さんが亡くなりました。国分寺・名水と歴史的景観を守る会の会長を長らくつとめられました。
文化財保全に功績があった人に贈られる「和島誠一賞」という大きな大きな賞が、第10回目の今年、今井さんに贈られることが決まって、会員一同喜び合った矢先のご逝去でした。
6月の授賞式には間にあいませんでしたが、病床の今井さんは、受賞を大変お喜びになったとうかがっています。
5月2日、今井堯さんのお別れの会が開かれました。花に囲まれた今井さんの写真。くったくのない笑顔、そして文化財保全のために先頭に立ちメガホンを握る姿。どの写真を見ても、私たち会員がいつもいつも目にしていた今井さんの姿でした。

2009年5月4日(月)朝日新聞多摩版朝刊に、今井さんの受賞とお別れの会の記事がのりました。
陵墓公開の第一人者今井堯さんに和島誠一賞
授賞式前に死去 仲間らがお別れ会

国分寺・名水と歴史的景観を守る会では、今秋、今井堯さんの足跡をたずねる会を開き、今井さんの業績を顕彰します。

2009年5月11日月曜日

国分寺・名水と歴史的景観を守る会活動の記録(2005年度~2009年度前半)

2005年
・6月  身近な水環境全国一斉調査(6月5日実施)の報告
・7月  景観法について
・9月  水に関するビデオ鑑賞会「多摩川の源流を訪ねる」他
・10月 まちづくり条例の設計思想~国分寺まちづくり条例の本質を考える~
・11月 (公開講座Ⅰ) 国分寺建立の詔にみえる「国華」と「好処」について

2006年
・1月 国分寺の湧水調査から見えてきたこと~地下水保全条例の必要性~
・3月 西元町一丁目マンション建設地の発掘と泉町郵政官舎東側地域の
発掘で何がわかったか。何が問題なのか
・4月 崖線と湧水の植物
・5月 府中市郷土の森博物館特別展
「あすか時代の古墳~検証!府中発見の上円下方墳~」鑑賞
・6月 (公開講座Ⅱ)武蔵国分寺造営の最高責任者、多治比真人広足について
・7月 阪神大震災被災体験より
~水道が止まる日 たよりになるのは自然の水~
・9月  国分寺の地下水と湧水
・10月 国分寺の博物館構想に関しての意見交換
・10月 第1回国分寺崖線保全フォーラム(世田谷区)に参加(発表・出展)
・11月 裁判を含め名水の会のこれまでのあしどりの説明と確認
・12月 史跡武蔵国分寺跡発掘調査報告~中門地区・塔地区・東山道武蔵路

2007年
・2月  埴輪研究と天皇陵を考える
・4月  ビデオ鑑賞会:1953年の発掘記録映画「月の輪古墳」
・5月  多摩広域基幹病院問題、他
・5月  フィ-ルドワ-ク武蔵国分寺を七重の塔跡から視る
・6月  国分寺市自治基本条例(案)を学ぶ
・7月  金光明最勝王経と民衆
・8月  ビデオ鑑賞会:
「国分寺の井戸 大地のおくりもの 民間の井戸編・むかしの井戸編」
・9月  六道銭から見た中世・近世の流通経済
・10月 国分寺の農地と農業を語る
・11月 第2回国分寺崖線保全再生フォ-ラム(国分寺市)に参加・出展
・12月  国分寺崖線保全再生パネル展示会及び意見交換会に参加・出展
・12月  水みちの話「野川を清流に 水辺の空間を市民の手に―水系の思想」

2008年
・1月  水、そして浅川の話
・2月  国分寺市まちづくり条例見直し団体ヒアリングに参加
・3月  (総会基調講演 公開講座Ⅲ)
武蔵国分寺と民衆―瓦を寄進した女性戸主と防人の妻の歌
・4月  真姿の池湧水の湧出異常対策検討会
・5月  第3期野川流域連絡会活動報告会に参加・出展
・6月  地下水と地域づくり
・7月  文全協・関東委員会主催「谷保の遺跡を歩く」に参加
・9月  瓦って面白い その歴史と瓦からわかること
・10月 サラゴサ(スペインのアラゴン州都)水のエキスポ報告
・11月 素顔のウズベキスタン ~日本語教師として10年間滞在経験より~

2009年
・1月  「聖フランシスコ子供寮自立の家」見学
~多摩川源流小菅村の木材を使った建築と森林再生の取り組み~
・1月  第3回国分寺崖線保全フォーラム(小金井市)に参加・パネル出展
・2月  第4回環境シンポジウムに参加・パネル出展
・2月  「国分寺市自治基本条例」を読む
・3月  (総会基調講演)イタリアの水みち考
・5月  野川・自然・古今風景~戦前・戦後の野川のスケッチと映像
・6月  古代国家の成立と東山道 ―武蔵国の事例を中心に―

----以下、予定------
2009年度後半の活動テ-マ:仏教伝来
・2009年7月12日(日)第4回公開講座
中央アジアの仏教遺跡 玄奘三蔵が歩いた道  詳細

・2009年9月18日 9月定例学習会 講師:村山光一さん(詳細未定)

・2009年10月18日 故今井堯さん(当会前会長・考古学)の足跡をたづねる会
考古学研究者としての業績を顕彰し、第10回和島誠一賞受賞と、天皇陵研究を集大成した本の出版を祝います。
基調講演:勅使河原彰さん

・2009年11月15日 第5回公開講座
国分寺の名水景観-映像とお話 講師:鍔山英次さん

2010年度の活動テ-マ:水と国分寺
年に1回か2回の全国国分寺めぐりをし、各国分寺の水とのかかわりを中心に、その立地を見て歩きます。